少女たちそれぞれ

「少女たちの長崎地図」 子ども編 その1

 明治後期から大正、昭和にかけての長崎の暮らしのようすを、明治37年生まれの作家・佐多稲子さん、明治33年生まれの詩人・大野良子さんらの記憶と記録からたどるこころみ。「買いもん編」は「行商」が終わり、市場やら商店街やら、まだどっさりあるのだが、それはまたのお楽しみとして「子ども編」を書いておきたい。(講座ではほかにも、中国や出島、精霊流し、くんち、乗りもの、春のお楽しみなどなど、いろんなテーマを取り上げた。書き起こしの道のりは遠い……)

 ひとくちに「少女たち」と言っても、いまと当時、長崎とほかの土地で違うところがたくさんある。明治の長崎の様子を見ていると、子どもたちのありかたは、いつの世も時代や土地を少なからず反映しているのだと思わずにはいられない。

 「少女たちの長崎地図」の「少女たち」とは、佐多さんと大野さん、あるいは昭和のフ左ちゃんといった、ここでその記録を使わせてもらってる人たちのほかに、明治31年生まれの私の曾祖母、大正15年生まれの祖母、昭和24年生まれの母、昭和45年生まれの私、あるいは平成22年生まれの娘……と、身近な人たちを思い浮かべているものでもあり、また、それぞれの友だちや家族、親類のことでもある。「少女たち」を定点にして、あるひとつの町……長崎の歴史を見てみたいと思いついたのは、佐多さん、大野さんとひいばあちゃんがおなじころを生きていたことがひとつだが、もうひとつには、佐多さんが小学校の同級生5人と撮った写真についての文章を読んだからだ。しかも、はじめは文章だけを読んで、それだけでもおもしろいなーと思っていたのだが、その後『凛として立つ 佐多稲子文学アルバム』を見ていたら、本当にその写真があったのだ!昔のことをボソボソ調べているときの、こういう瞬間がたまらない。

写真はこちら。『凛として立つ』より。

彼女たちがどんな少女だったのか、ご紹介していきたい。