抜けない「癖」

 地味なツイッター人生で初めて、まさに桁違いの人から読まれたので、まとめておく。

投票率の低さは「政治への無関心」とか「選挙報道の少なさ」もあるだろうけど、たぶん、若い人になればなるほど、もっと根深いと思う。「自分の置かれた状況は受け入れるべきもので、それを自分の意志でなにかを変える、変わるなんてことはあるわけがない」というような意識だ。


息子が四年生か五年生のときだったか、みんなが将来の夢を発表する会みたいなのがあって、それを聴いてて愕然とした。まずはだれもがお金の話しかしなかったことに。この仕事に就くと、給料はいくら、印税はいくら。メジャーリーガーや漫画家になりたい子も、まずお金の話だった。


それが異様に現実的なのだ。「大学教授になるには、まず助手になって、その時の給料はいくらくらいで…」みたいな話が延々と続く。そして、なんの教授になりたいのか、どんな漫画を描きたいのか、それはぜんぜん話さない。だから片っ端から質問した。「なんの研究がしたいの?」「どんな漫画が好き?」


そしたら「ヒコちゃんのお母さんって、おもしろーい」って笑われた。しかしそれはまだいいほうだ。「ケーキ屋さんになりたい」って言った子の「夢」は、本当に衝撃的だった。「朝、出勤して、おいしいケーキを焼きます。時給は850円くらいなので、手取りはこれくらい。残業もしますが、


残業代はほとんどもらえないと思います。夜遅く帰って、また朝早く起きます。」完全に絶句だった。彼女にとって、夢を叶えて働くということは、非正規雇用であり、サービス残業であり、遊ぶ時間もお金もない状態なのだ。「えー、それ、給料安すぎだよ〜」とは言ってみたけど、笑えなかった。


子どもたちにはすでに「ソフト奴隷」な思考が定着していると言っていいんだろうと思う。新奴隷主義とでもいうか。「政治への関心」とか、奴隷が持つわけがない。投票率の低さは「市民の意識の低さ」じゃなくて「奴隷意識を持つ人の増加」だと思えば、「夢のケーキ屋さん」の話を聞いた私は納得できる。


 と書いたら、あれよあれよと「通知」が増えて、見たこともない数になっててオロオロした。うわーん、これがバズるとかいうことなの? 炎上? なんかめちゃ文句とかトンチンカンなこと書いてくる人がいたりするんだよね? そういうのに弱い、弱すぎる…ガクガクブルブル…。と思っていたら、ありがたいことに、そうでもなかった。追記として、以下をツイート。


朝のツイート、作り話では?みたいなことまでささやかれていることに驚く。子どもたちを「いい人材」に育てる力は、たぶん、こうしているいまもどんどん強まっていて、最近、娘の小学校では「友だちをあだ名で呼んではいけません」というキャンペーン(?)が行われている。


あだ名って、ネガティブなものもあったりするから、それを事前に防ぐためという発想なんだろうな、とは思うけど、正直、小さな子どもたちが「くん」「さん」で呼び合ってるのって、なんか…ぞわぞわする。


まだ「あだ名ダメキャンペーン」があってないときだって、図書ボラの読みがたりで「ヒコちゃんマンのお母さんでーす」って自己紹介したら、読みがたりが終わってから、女子二人から「あんなこと言っていいんですか?」って聞かれたこともある。こわいー。


そのうち「番号で呼び合いましょう」みたいなことになりはしないか。いや、それくらい、学校での「個人の余計な力を削ぐベクトル」は、いたるところで発生しているのです。なにかというと「感謝」って言わされるところも含めて。



 いま息子が中2、娘が小3だ。小学校、中学校の行事やらなにやらを通じ、思うことはいろいろあるので、つい、追記。たぶん、ツイートに反応してくれた人たちも、子どもや、自分自身で思い当たること、そうでもないこと、いろいろあるのだろう。いろんな意見が寄せられた。それで、追記の追記。


「若い人や子どもたちの『ソフト奴隷化』が進んでいるのではないか」というツイートが、たくさんの人に読まれ、さまざまな反応があった。子どもたちが語った「夢」について「作り話ではないか」「私立のいい学校の話?」というツイートもちらほら。


「夢」については、私も現場では耳を疑ったが事実だ。いわゆる「盛り」もない。あらためて息子に聞いたら、四年生の「二分の一成人式」の時だったという。また「お金持ちが行く私立」ではなく、長崎の市立小学校だ。


たくさんのツイート、ひとつひとつにお返事はしていないけれど、どれもなるほどと思うものあり、ハッとさせられるものあり。どの方も、立場やトーンは違っても、このことについて受けとめ、考えておられるのが伝わってきた。


人を奴隷扱いしたい人はいるだろうし、そういう人に同調することで気分が良くなる人もいるだろうけど、だれも自分のことを”積極的”に奴隷にしたい、奴隷だとは思っていないはずだ。しかし、悲しいかな”消極的”あるいは”無意識”に奴隷状態を「良し」「マシ」とする状況は、すでに始まり、進んでいる。


けれどやっぱり、だれも自分自身や子どもたちが奴隷になることは望んでいない。本当なら、できることなら、それぞれに幸せと思える状態で生きたい。昨日のツイートへの反応は、たとえ「クール」に見えるものであっても、それを否定するものではなかった。


ひとつ「まるで江戸時代だ」的なご意見があった。私は子育てや教育に熱心な母親でもなんでもなく、普段は長崎の昔のことをブツブツ考えている人間なので、まさにそれとのつながりを思いめぐらせていたところだ。踏絵の国だものなぁ…と。


 「戦後教育」とか「ゆとり教育」の弊害では?みたいな意見もたくさんあって、もちろんその要素もあるのだろうけど、私としては、もっともっと昔の、たとえばいまだに「藩」意識があるように、江戸時代にまでさかのぼるような感覚が、現在の状況にも影響していると考えている。寄せられたツイートの中に、「おなじ年の子たちがおなじようなことをしたけど、そこまでお金の話は出なかった。先生や地域の傾向もあるのでは」というようなものがあって、たしかに日本のどこででも、まだ「金、金」言う子たちばかりじゃないかもしれないし、私の息子や同級生にしても、ほんとうにお金のことしか考えていなかったのではなくて「使いはじめたばかりの学校のタブレットで検索したらお金のことばかり出てきたし、それを書いておけばデータっぽくてもっともらしいから」と思って、お金の話をしたのかもしれない。私はその場で、ツイートに書いたような質問のほかに「ちょっとー、君たちはさっきからお金の話ばっかりだねぇ」と突っ込んだのだが、その時もみんな大笑いしてた。その笑いは「それ以外になにかあるんですか?」であったし「それ言っとけば親も先生も一応納得するでしょ?」でもあったような気もする。でも「ケーキ屋さん」の子の「そんなもんなんだろう」感は、なんとも切実で、いたたまれなかった。もっといろいろ言った方がよかったのかなとも思うけれど、仮に「それは間違ってる」と言ったとしても、しょせんはその場の短いやり取りである。結果的に、彼女の身近な人を否定しただけで終わる可能性だってあった。どうしたらよかったのか、いまだにわからない。

 「地域の傾向」は「長崎をブツブツ」の私としては、あるんだろうと思う。歴史的に見ても、ほかの土地や町よりも、お金に対して執着があるのは明白だからだ。400年前のスペイン商人にも「日本一の拝金都市」「昔だれかの奴隷だったヤツも、金を持ったが最後、いばり散らしまくる。いまやお偉方のあの男も…」みたいなことを書かれている。ただし、長崎は時に日本の縮図であり、いろんなことが先取りして起こる町であり、忘れたい、隠したいことがあらわになりがちな土地なので、「長崎で起こったことはほかでも起こる」あるいは「すでに起こっているけれど見えていないだけ」と言いたくもある。

 長崎の町と港を開いて栄えさせた人たちはキリシタンで、禁教は彼らに信仰や良心を否定させ、心を封じさせた。毎年正月には「絵踏み」があり、自分やご先祖さまがかつて愛したイエスさまやマリアさまに足をかけた。長崎人はお祭り好きだのぬるま湯体質だの言われるけれど、心を封じられた者たちが、お金に執着したり、おもしろおかしく楽しい生活に流れるのは、無理もないといえば無理もない。さらにそれは、長崎で端的に起こったことだけれど、日本全国の話でもある。キリシタンへの弾圧や殉教は、長崎だけでなく、九州、関西、関東、東北に至るまで、全国各地で起こったことだ。キリスト教の信仰とは縁がなかった者であっても、その「圧」は等しくかかっていた。250年くらい、かかりっぱなしだった。個人の自由を制限していたのは、ほかにも鎖国や、重すぎる年貢や、五人組制度などいくらでもある。もちろんいまとは時代が違うが、人は親に育てられ、親はその親に育てられ、その親はまたその親に…と思えば、江戸時代なんてすぐである。田舎に行けばいまだに「藩」の意識が歴然とあるのだから、それを思えば、個人の心の自由を否定する「癖」が存在するのは、悲しいかな、むしろ自然だろう。

 若い人たちの「ソフト奴隷」化は、日本人が長い年月をかけてつちかってきた「隷属癖」「他罰癖」の、先祖帰りか揺り戻しである可能性も、ないことはないと思う。ただ、それをわかってるのとそうでないのでは、生き方は変わってくる。人に隷属したり、隷属させたり、他罰的であったりすることでいいことはちっともない。それにしても250年かけて作られた「癖」は、明治以降、戦争やらなにやらで、むしろ強められてしまった感さえあるので、よほど気がけていないと、あと200年くらいは抜けないのかもしれない。嗚呼。

 ……と、気がつけば「投票率の低さの理由は踏絵にあった!」みたいなトンデモ説になっていないか……? まぁ、そういうことといえば、そういうことなんだが。