彼らの水面

大村湾を眺めながら、小さな旅へ。
大村湾が見えると、まず「450年くらい前だと、大村純忠が横瀬浦に行ったり来たりしてたんだろうなー」と思う。洗礼前後、静かな水面に少しだけゆられながら、教理のおさらいをしたりしてたんだろうか。
その30数年後には、処刑を翌日に控えた二十六聖人が、おなじ水面を西坂に向けて渡ってゆく。
大村湾に激しい波が立つことはほとんどない。おだやかな波間を見つめていると、意識はそのおだやかさと同調する。彼らも、そうだったろうか。