しゃんがしいやーい

◆少女たちの長崎地図 「買いもん」編 その4


 街角に次々と現れる行商や移動修理(?)の人たち、その声は、夜まで響く。


 季節にかかわりなく一年中を通して夜の巷から聞えてきたのは按摩の笛の音と、「うどぅんそばあ」の売り声であった。この方は親しい人の夜の来訪に又夜食のために、家でも呼ぶことがあった。屋台は現今のように、車ではなくて火の入った行灯の形もそのままに天秤棒で両方に担いで歩いていた。この夜なきうどんが十二月の冬至の夜は皆ぜんざい屋に早変わりして「冬至ぜんざあいー」と触れてくるのであった。長崎では冬至に南瓜も食べないし柚子湯もなかった。(大野良子『記憶にのこる明治の長崎』)


 車を曳くのではなく、担ぐ屋台とは、さぞかし重かったろうと思うが、長崎に限っていえば、坂や階段が多いので、まだ町の隅々まで道が整備されていない時代には、そのほうが機動力に長けていたのかもしれない。

 冬至になると、うどんやそば売りはぜんざい売りになったようだが、それとはまた別の、冬の訪問者がいた。

 木枯らしの吹く夜は、今もその彼方に八十年も昔の故郷の夜の声を聞く。かぼそくて澄み透ったその声は「しゃんが椎いやああいー」と。ひゅうっという木枯らしの合間にかき消されながら、また続いて「しゃんが椎いやあい」と、風と一緒に表の道を通って行く。遠くから近づいてきて、また遠くの方へ消えていった夜の声。南国でも冬の夜は寒く淋しかった。

 椎の実売りを呼び入れると、女の人が上り口に風呂敷の包みを解いて、又綿入れの木綿のふくさを拡げると、大きな重箱に煎った椎の実が温くはいっていた。というのは後年友達に聞いたことで、私の家では買ったことはなかった。ただその売声を聞いていただけなのに、晩秋ともなれば第一に私の心に聞えてくる故郷の秋の声である。(同)


 椎の実売りのフレ声は、永島正一さんも「シャンガシイヤイ」と記している。大野さんの記憶では女の人だが、違う人もいたようだ。明治三十年生まれの高谷八重さんの『ながさき あまから』(長崎文献社)には、少年たちが登場する。


 「椎ヤーイ、椎ヤン椎ヤーイ。熱(あっ)たか椎ヤーイ」

 と遠くの方から、すきとおった少年の声がする。

 時刻は夜の八時頃であった。

 おとめ心には泣きたいようなあわれを感じる。そして母にねだった。

 呼び入れると手織木綿の縞の綿入半纏を着ぶくれて、首には黒い布の襟巻ようのものを巻いて、うすよごれた手拭で頬をつつんだ男の子の兄弟らしい二人連れであった。

 煎り立ての熱い椎の実は黒い煤けた中位の岡持の中に一杯つまっていて、その中に古い小さい一合桝も入っていた。たしか、一合が五厘だったとおもう。

 みんなにもと三、四合買うと、ニッコリとよろこび、すぐまた外に出て、

 「椎イヤーイ」

 と、声はまた遠くに消えてゆく。

 その子たちは、昼間、椎の実を、今の長崎公園の玉園山の森の中でひろって、寒い晩に売りに出るらしく、十二歳位と八歳位の、かわいらしい顔立ちがいまもはっきりとうかぶ。

 椎売りの少年たちが去ったあと、しばらく立ち並ぶ家なみは、さらに深閑として時が経つのを見守っているような気がする。

 時折、夜泣きうどんの鈴の音と、屋台車の轍の音がしたり、近所でそれを呼ぶ声。

 くぐり戸を開けたり、閉めたりすると、あとがまたひっそり閑と寂寥がつのるのである。


 高谷八重さんは生まれ年から考えれば、大野さんの三つ上、佐多さんの七つ上ということになる。八重さんの「夜泣きうどん」は車輪付きだ。担ぐタイプと混在していたのか、それとも、その後出てきて記憶が上書きされたのか。大野さん、佐多さんは、大正時代に長崎を離れているので、それ以後の記憶がなく、それゆえに当時の様子が「保存」されていると、それぞれに書かれているのだが、どうだろうか。

 それはさておき、椎の実売りの少年たちは、前回の「すわのもり、メメントモリ」で佐多さんが椿の花束を作って遊んでいた「玉園山」で椎の実を拾い、夜に売り歩いている。八重さんは名のある回船問屋の娘さんだから、その貧しさがいっそう「泣きたいようなあわれ」だったのだろうか。

 「椎の実」と聞くと、さだまさしの『椎の実のママへ』が浮かぶ。「椎の実」というジャズ喫茶を開いていた叔母さんを歌ったもの。彼女の息子は若くして亡くなり、彼を送る情景を歌ったのが『精霊流し』だ。一〇分近くの曲である『椎の実のママへ』の中では『精霊流し』のイントロが流れる。彼女はどんな思いで店の名前を「椎の実」にしたのだろう。「数えの二十二で終戦を迎えた」という年代なら、椎の実売りの声を聞いていただろうか。「すきとおった少年の声」。さださんが言えば、よく似るかもしれない。

 椎の実は、私は食べたことがない。検索してみたら、けっこう食べている人もいるようだ。たしかにナッツだ。こんどの冬には、おすわさんの玉園山で探して食べてみようか。