ジョンについて

 歴史の年表に載るような事件や人物のことばかり読み書きしているわけではないので、ある時代の、別々の人の記録に、おなじ場所や人のことを書いたものを見つけると、とてもうれしい。昨日のブログに書いた「アブーさん」もそうだが、またひとり、ある時期の長崎の有名人だった人がいる。名前は「ジョン」。日本人だ。彼に関しては単に「うれしい」という話ではないのだが、とにかく、ジョンと呼ばれた人がいた。最初に見つけたのは、昭和11年生まれの女の子の成長記録である『戦禍の長崎「フ左日記」』だった。昭和18年のとある日。


 「ありゃ、今日はジョンが傘ばさして行きよるぢゃっか…」

 僕の頭をあたっている背の小さい職人が硝子越しに、往来を眺めてそう云った。

 床屋から戻った僕とフ左は、たゆみなく降り注ぐ雨の音を聞きながら、一つ丹前に、くるまって、うたたねをした。

 「お父さん、ジョンも、やっぱり元は、人間だったとぢゃろ?」と、フ左が尋ねた。

 「ジョンは今でも人間だよ」

 「今でも人間?」フ左は、ちょっと首を傾げて考えた末に

 「今でも人間ばってんね」一応肯定して

 「そいでも、元はうち達のごと、しとったとね」と、云い方を変えた。つまり普通の常人であったのかと問うているのである。


 ジョン氏は、だれの遠目にもわかる存在であり、子供心にも「違う」空気をまとっていた人物のようだ。 


 このジョンについて一筆して置く必要を感じていた。フ左にとって興味ある存在であり長く記憶に残る存在であるからである。

 ジョンは、四十四、五才に見える。本当は、もっと若いのかもしれない。背丈は低い方だ。痩せて、赤く焦けている。ボロボロになったものを着て、裸足である。

 頭髪は伸び放題で肩を覆うている。おどろのような髪の中から覗いている顔は案外、善良そうで、時にはにこにこと笑いを湛えている。

 絵で見る仙人のような姿である。


 ジョン氏はいつも、町を歩き回っていた。歩き回ってお腹が減ればゴミ箱を棒で混ぜ返しながら、とにかくジョン氏は歩いている。


 何のために飄々と飽かず歩いているのか判らない。ただ無闇に歩いている。従って、ジョンは何処にでも現れる。電車を降りると、そこに居ることもある。映画館を出ると、そこに居ることもある。船を待っていると、そこに現れることもある。寂しい寺町筋を、風のように通っていることもある。


 どこからともなく、どこにでも出没するジョン氏のことが、多くの人たち、とりわけ子供たちは気になってしかたなかったようだ。


 ジョンは高名である。知事や市長の名は知らぬでも、ジョンの名を知らぬ者は、あまり無い。殊に子供等は、自分の学校の校長先生以上の親しみを持っている。

 どこの家庭ででも、どこの子供の遊び場でもジョンの話が出る。ジョンは一種の英雄である。


 私の祖母(大正15年生まれ)にたずねたところ「ジョン。おったねぇ。ジョン。私は見たことなかけど、みんな知っとった。ジョン、ジョンって言いよった」とのことだ。

 『フ左日記』で強烈なインパクトを受けたあと、だいぶ経ってから美輪明宏さんの『紫の履歴書』を読んでいたとき、ただならぬ既視感に襲われた。「このジョンって、あのジョン?」


 石だたみをスキップしながら  幼稚園の帰り道  廃れ果てた西洋館の  ゴミ箱の横に  いつも、ジョンが佇っていた。  長い髪やひげも まぶたや頬っぺた  それに短いアッパッパも  みんな茶色いわかめみたいに  ぼろぼろぶら下がっていた。

 「ジョン! 失敬!」  僕達は、前を通るときは  きっと、そう大声を上げて、わざとてのひらを見せて敬礼をした。  すると、しゃきっと姿勢を正し答礼をした。

 

 ジョン氏にはなんらかの精神疾患があったように思われるが、これは子供たちとの意思疎通ができていたということか、それとも、敬礼に対しての条件反射が残っていたということなのか。


 送り迎えのねえやが  僕を寝かせる時  思い出したらしく  うちわの陰で笑いながら言いました。  「あの、ジョンはね、  兵隊に行って  いじめられすぎてから  あんげん、おかしゅうなったとげなばい」(「ジョン失敬!」)


 美輪少年はそのあと「兵隊ごっこをしない子」になったという。「ねえや」の話が本当なら、ジョン氏はどんな従軍生活を送っていたのだろう。『フ左日記』のジョンの項は昭和18年だから、第二次世界大戦でどこかに行って帰って来たのか、それともその前の日中戦争だったのか。戦いによる傷病ではなく、頭がおかしくなって町をさまようとは、いったいどれほどの「いじめ」があったのか。もしかしてジョンというのは本名で、長崎にはめずらしくない混血児だったのかもしれない。だとしたら、軍隊にありがちな「いじめ」も相当に割り増しされたことだろう。戦争ゆえの狂気なのか、それは単なるきっかけにすぎなかったのか。フ左ちゃんの父は恐れながら記す。


 ジョンも常人であったとすれば、常人である自分も、ジョンになる可能性が、ないではない。ジョンになることは恐怖である。


 戦時中、だれもが多かれ少なかれ「狂って」いなければ、あるいは感覚を麻痺させていなければ、生活はできなかったろう。「常人」と言いながら、みんな薄々は「ジョン」化していたのではないか。戦局はこのあと悪化する一方で、食料事情もどんどん悪くなった。それまで捨てていた部分でも、みんな食べつくしていたことだろう。そのときジョン氏の「収穫」はどうなったろう。そして原爆が落とされたとき、どこにいただろう。

 ジョンはどこから来て、どこへ行ったのか。いつかまた、だれかの話や記録の中で出会えたら、と願う。